なんで生きなきゃいけないの?

こんにちは!
仮り暮らしの徳永です。

今回のお題は「なんで生きなきゃいけないの?」です

重いテーマをチョイスしてみました。別に誰か偉い人から「何がなんでも人生をまっとうせよ」と言われたわけじゃないのに、どうして人は生きるのか、生きなければならないのか。

人それぞれだと思う

諸説ありますが、徳永に限定するとそもそもが「お前ちょっと人間やってこい」と指示を受けたわけでも、ましてやお空の上で「ここに生まれたいな、えーい☆」とかやって生まれてきたわけじゃないです。

気が付いたら生活してて、子どもの頃は「みんなそれが普通だから」と疑問にすら思わなかった。中学生くらいからなんとなーく、「生きなきゃいけないような気がするな」と思って生きてるだけです。

昔は死にたいと思ったこともあります。徳永は特に貧乏に苦労してきたので、なんでこんなになってまで生きてるの?生きる意味ってお金のため?お金がないと何もできないの?と思うともうお先真っ暗な人生しか浮かばなくて、楽に死ねる自殺の方法とか、はたまた思いとどまるよう支援している団体も検索しました。

■参考

でも死後のアレコレは親や周囲の人間に降りかかるのと、「死んでまで迷惑かけるやつだと思われる」と思ったのと、死体は汚物にまみれるという話と、死ぬにもアイテムを購入したり死に場所まで移動するための準備が要るからやっぱりお金が必要だし、団体を頼るなら全部捨てて1からとなるとちょっとそこまでの覚悟はナイな・・・

つーか荷物の処分とかどうすんのコレ、あっていうかまだ寿司食べたいし漫画も読みたいしライトノベルで展開気になってるやつあるなと思ってやめた、その程度のもんです。死んだら浮遊霊になりたいなーくらいは思ってますよ。それで通勤中のサラリーマンを眺めたり、仕事ミスってるのを指さして笑ってやりたい(ヒドイ)。

たしか中学生くらいの頃も「死んだら楽になれるよなぁ」などと考えていましたが、死んだら犬夜叉(漫画。高橋留美子作)の続き読めなくね?アニメ観れなくね?って思って考えがアッサリ消え去ったこともあったな。

んーでも、「私がいなくなっても、さも最初から私がいなかったかのような世の中を保証してくれる仕組み・制度」があったら、もっと真剣に考えたかも。死んだら自分にかかわる荷物は忽然と消失し、皆の記憶からも消失する。だって最初から存在しないんじゃ、誰も悲しまないし苦労もしないしね。

「死んだらダメ?」

よく言われる3本柱はこれかと思います。
・病気や戦争で、生きていたくても生きられない人の気持ちも考えろ
・みんな辛いんだからお前も頑張るべきだ
・せっかく産んでくれた命なんだから大事にしろ

徳永はこう思っています。

病気や戦争で、生きていたくても生きられない人の気持ちも考えろ

→その必要は無い。自分はその人ではないし、苦しいものは苦しいのだから。そもそも、自分の気持ちは自分のものなのであって、誰かと比べられるものではない。

みんな辛いんだからお前も頑張るべきだ

→たとえばAさんとBさんはともに所持金が10円しかないからといって「まったく同じ苦しみ」を味わっているかと言うとそうではない。Aさんはステーキが食べられなくて苦しんでいるかもしれないし、Bさんは満足な寄付をしてあげられる余裕が無くて苦しんでいるかもしれない。

今自分が味わっている苦しみは他者のそれとはまったく別のものだから、比較したりされたり、「あの子はもっと辛いんだから自分がリタイアしちゃだめだ」と言ったり言われたりする理由にはならないし、なってはいけないとも思います。

せっかく産んでくれた命なんだから大事にしろ

→「お母さんを選んで産まれてきた」とかいう宗教(?)もありますが、そもそも産んでくれなんて頼んでないし、子ども自ら自発的にそう思うならまだしも、言わせたりそう思うように指導するのはただの押しつけであり、間違っていると思います。

よしんば「せっかく産んでくれたのに申し訳ない」と子ども自らがそう思っていたとしても、「だから」死んじゃ駄目、という理由や根拠にはなりません。

どこぞのweb掲示板やQ&Aコーナーでは上記の3本柱のどれかを偉そうに語る人が必ずいますが、的外れな回答もいいところです。

結局自分の正義感を押し付けただけで、真面目に質問している質問者に失礼だとさえ思いますし、自分は自殺を考えるほど苦労していませんよ、今の人生に満足してますよという自慢のようにも聞こえるし、じゃアナタ悩みを円満解決してあげられるわけ?その人の生涯にわたってその人が何不自由なく、かつ自分を卑下することなく生活できるよう責任とれるわけ?できないでしょ、したくないでしょ?じゃ「綺麗なこと言った自分素敵」に酔ってる偽善者じゃん。お花畑ちゃんじゃん。とも思います。

あまつさえそれがベストアンサーなんかに選ばれている場合もあるんですもん、胸糞悪いったらないです。

なに、徳永は自殺推奨派なの?


「自殺?やりたきゃやれば?いーよ、どんどんやりなよ」なスタンスではありません。

徳永と関わったことのある人がそれを選んだらもちろん悲しいし、やるせないし、どうしようと思うし、寂しいし、無力感を感じるし、「もしかしてあの言葉が良くなかった?どうしたらよかったの?」と間違いなく自分を責めます。ズンドコ落ちます。

とはいえそれすらも、他者から見れば「助けてあげられなかったから訪れた結果」なわけですから、「ハン、悲しんでるフリまでしちゃって。偽善者が」くらい思われてもおかしくないです。それでも、徳永は間違っても「おー!よくやったなぁ!楽になれたっしょ!^^」とは思いません

ただ、徳永には自殺を止められる権利はないし、無理に引き留めてもその後の生活に責任持てないので、「死んじゃ駄目!」系の言葉は言わないようにしています。ぽろっと出ちゃうときもありますが。その代わり、より良い明日を迎えられるようなお手伝いはします

余談

ちなみに、両親や祖父母よりも早く死ぬ、すなわち自分という1人の人間を殺すことは、少なくとも6人の人間を殺すことに繋がります。当人の父母と、父方と母方の祖父母です。特に祖父母は、孫を失った+そのことで自分の子どもが苦しむという二重苦を味わいます。1人っ子じゃなければもっとですね。

色々言いましたが、徳永としては&仮り暮らしとしては、今まさに「死」を考えている子どもたちが、成人を迎えたあとの生活を良い方向に想像できるよう、手助けしていきたいと思っています。

だって、成人しちゃえば日本全国どころか海外にだって、どこにだって行けるんだよ。仕事決めなきゃいけないけどね。

 

それでは、重い回となりましたが今回はこの辺で。
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