徳永について_16_友人のこと

だいぶ日があいてしまいました。
15回目はこれまでのブログにたびたび登場した友人についてです。この人がいなかったら私は今頃どうなっていたのか。小学生から今にいたるまで、大変感謝している存在です。
Aちゃんとします。

出会いは小学校高学年の時

具体的にいつだったか、何がきっかけだったか全く覚えていません。気づけばよく話すようになり、よく遊ぶようになり、互いの家を行き来し、なんだかんだでもう少なくとも15年超の付き合いになります。最近もたまに食事に行ってます。

小学校時代

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いじめの一環で、クラスの女子から「Aちゃんも徳永さんと一緒にいるの嫌なんだって」という内容の手紙を受け取った時、何がどうなったかAちゃんに手紙の存在がばれて、Aちゃんじきじきに抗議してくれた記憶があります。たしかその時、私が手紙を見せるのをしぶって怒られたような。
[補足:いじめ]
このブログにもちらっと書きましたが、私は小学校時代、いじめのターゲットになっていました。おばかな私は中指を立てるあのポーズにも「何それ?」と返し、「徳永さんは知らなくてもいいことだから^^」に素直にうなずき、ばい菌ゲームと称し「徳永~手ぇ触って~」と言われて素直に手を触り、机をくっつけるのを拒まれ、2人一組になって~では必ずあぶれ、「校外学習の班を作ってくださーい」でも必ずあぶれ、バスに乗せれば先生の隣という完全ぼっちでした。
*ちなみにバスのくだりでは自分からそうしていた感があります。誰と喋る必要もなく、レクやおやつ交換というコミュ力高めの儀式をしなくてすむ、おまけに窓を見てれば自動的に目的地に着くという、私にとっては大変楽な席でした。
そのぼっちにあえて近づいてきたのが勇者Aちゃんです。私は当時誰かと話すことがなかったので、よく私に近づいたよなぁと今でも不思議に思っています。まさに捨てる神あれば拾う神ありですね。
それ以外にも、学校が休みの日は積極的に遊ぼうと声をかけてくれて、自転車でいろいろ足を延ばしました。片道30分かけてジョイフルホンダに行ったりとか。
そうそう、その子は外国人の子で外国用の名前があるのでそっちで呼んでと言われましたが、なんとなく恥ずかしくていまだに呼べず。なぁなぁにごまかしていまだに小学校からのニックネームで呼び続けています。

中学校時代

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おそらく私がちゃんと登校するようにと、ほとんど毎朝私と待ち合わせをして(始業より30分も早く着いちゃう!)、雪が積もったら絶対登れないよねという急な坂道をえっちらおっちら登って登校していました。朝からいい運動だよねと言いながら。私は朝が弱かったので、待ち合わせ時間を遅くしようよとぶーたれたものです。
小学校時代のいじめは終わったとはいえ持ち上がりですから微妙な雰囲気だし、友達なんて作ってもどうせまた離れるんだよねーと思うといまさら友達を作ろうとも思えず相変わらずのぼっちぶりでしたが、でも意識の何かが違ったのか小学生の頃よりも通うようになっていました。
彼女はクラス以外にも居場所があるよと日々の過ごし方で教えてくれました。中学校にある「けやき学級」という特別教室です。その教室の生徒としてではなく、朝や放課後、そして昼休みに過ごす場所として。
そうそう、そこのおばあちゃん先生はよく話を聞いてくれて遊んでくれるという素晴らしい先生です。今でも尊敬しています。けやき教室がなかったら悲惨だったろうなぁ。親が不登校に否定的で、何が何でも学校は休ませない、通わせるという親だったので心底助かりました。

高校時代

ここまで来ると腐れ縁だよねー(笑)といいながら同じ高校に入学。ここでも彼女はクラス以外に居場所を作ってくれます。図書室と、保健室です。
クラス以外にも居場所があったので、私は「女子高生」という青春を謳歌するオンナノコたちに囲まれながらもなんとか卒業することができました。
図書室と保健室がなかったら、私はきっと登校・勉強・帰宅というルーチンを機械のように繰り返したに違いありません。休みがちにもなったでしょう。

高卒以降

あいかわらず付き合いを続けています。私の学校生活は彼女なしでは成り立たなかったでしょう。小学校~高校まで、(先生の采配もあったと思いますが)ほとんど同じクラス。
一般的に「キツイ」とされる約10年間にわたって私を孤立させず、しかも「クラス以外にも居場所があるよ」と教えてくれたAちゃんでした。
それでは、今回はこの辺で。
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