徳永について_1_家族と生い立ち

小学生頃までは普通の家庭(だと思っていた)でしたが、中学生頃から家庭の経済が悪化していき、坂道を転がり落ちるようにどんどん「異常な家庭」になっていきました。
徳永の回では、私の記憶がある幼稚園から遡って家族のことを交えつつご紹介します。

徳永について

子どもの頃の家族構成:父母妹(2歳差)、父方の祖父母。
父 親:サラリーマン
母 親:専業主婦
祖父母:年金暮らし
性格(子どもの頃):すごい人見知り集団行動が苦手。人に興味を持てない。流行りものに惹かれない。友達が作れない。大人数より少人数派。先生の「ハイ○人組作ってー」と班行動、家庭科調理実習が(皆の輪に入れないので)ものすごい恐怖だった。
性格(大人):八方美人。集団行動が苦手。大人数より少人数派。職場のうわべだけの飲み会は好きじゃない。初対面の人とまぁまぁ会話できる。面倒見の良さは上司から「あのチームは徳永さんの面倒見の良さで成り立っていた」と言われるくらい。同年代、特に女性が苦手。

父母の出会いと結婚

両親はお見合いで晩婚です。当時の母は度重なる見合いに疲れていて、父と結婚を決めたのは「あー疲れた。この人でいいや、持家あるし」という理由。持家といってもローン山積み。母親は「ローン無しの持家がある」、父親は「ローンあるけど家は持ってる」という認識違い。それを「話が違う!」となったのは結婚後だったとか。

両親から互いの悪口を吹き込まれる

小学生当時は家族仲が良いと思っていましたが、小学校高学年で両親にこれを吹き込まれます。
母曰く、「夫は浮気してる。生活費をくれたのは20数年の結婚生活ではじめのころの数回だけ。」
父曰く、「妻は穀つぶし。家庭経済が厳しいのに働きもせずタクシーやらファミレスやら、銭ばかり使う。まったく、悪妻は百年の不作だ。」
もうね、他所でやってくれよ、と。
昨今、「夫婦喧嘩は子どもに見せたほうが良い」という意見もありますが、大反対です。
よっぽど互いの顔を立てた、きれいな終わり方ができない限り、子どもに見えない・子どもに聞こえないところでやってください。
夫婦喧嘩のせいで子どもの脳が委縮しますよ

合わせて読みたい

母親はいまでも父の悪口を言います。それを指摘すると「あんたはパパの味方なの?」と逆切れします。二人とも互いのことを悪く言うから真実が分からない、だから私はどちらの味方でもない、と返しています。うんざり、大迷惑です
ついでに言うと、家の中がぎすぎすしてると、その家の子どもはアダルトチルドレンになりやすいと言われています

母親について

父の意見には同意できます。
母は熱心なキリスト教信者ですから、毎週日曜日になると私たち姉妹を連れてタクシーで教会に通い、お布施として毎回1000円を寄付し、ミサが終わるとタクシーで百貨店に行き、ファミレスで食事をし、一週間分のお惣菜を買ってタクシーで帰るというのを私が小学校を卒業して教会通いを断固拒否するまで続けていたのです。
まぁそれも、経済状態が悪くなってからはタクシーがバスに、1000円が数百円に変わりましたが、家庭の経済状態が悪化する原因の1つではありました。
また、母は嫁姑の争いを繰り返し、結婚直後には家の2階に台所を作らせました。自宅は1Fが祖父母、2Fが私たちのスペースでしたから、かなり手狭です。この辺は、父が母をかばわなかったから、なんとも言えません。父は根っからの九州男児でした。
2階には3部屋+書斎がありましたが、1部屋は台所、1部屋は居間、1部屋は父専用の部屋です。母と私と妹は居間で寝起きしてご飯を食べるという生活をしていました。
父としては昔ながらの家庭、つまりお嫁さんが一家の家事の全てを担うのが理想だったようですが、母は「祖父母世帯は祖父母が、私たちは私たちが家事をする」という考え方です。当然、水道光熱費は一般家庭のなんと2倍
母はパートに出た時期がありましたが、「仕事きつい。人間関係が悪い。できないことをやれと言われる。」として長続きしませんでした。口癖は「私は働くために嫁いだんじゃない。なんで働かないといけないの。私は奴隷じゃない」。
今思えば父はほぼ毎日十数年、夏も冬も駅まで30分歩いて交通費を節約してあくせく働いて、1馬力で家族を養わなければならず、趣味に使えるお金もなく、父の方がまるで奴隷です。

父親について

父の浮気に関しては現場を見たわけじゃないので半信半疑ですが、母は「生活費をくれないから何度も互いの実家に借金した」と言うので、生活費を渡さなかったのはたしかなようです。
また、「社員旅行に行ってくる」と嘘を言って実は浮気相手と旅行してたとか。でも、父が若いころに勉強していた跡を見ると、勤勉だよなぁ、本当に浮気かなぁと信じられない部分もあります。というか、母みたいな人が私の伴侶だったら、私は耐えられない。。。
私は浮気は嫌だし許せないですが、でも母親がああだったので浮気したくなる気持ちはすごく分かる。責めるに責められません。

祖父母について

祖父母は幼少の頃におはじきで遊んだ記憶がありますが、母親が祖父母に対して良い感情を抱いてなかったようで、私が「一緒に遊んだ、楽しかった」と言っても良い顔をしませんでした。当時の私はそのことを理解できず、特に食べ物や洋服をもらうと母親がつき返しに行ってました。私は納得できませんでしたが…。
晩年になって介護が必要になった時、布団をかけてあげたりするのすらも母親からは嫌な顔をされました。これは今でも理解できない。
晩年はどちらも認知症を患って別人のようになってしまったのが辛かったです。それでも、祖父母が私に優しかったことは覚えていますよ。
さて、次回の記事では「私と宗教」について書きます。
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