こんにちは!仮り暮らしの徳永です。
聞くところによると、もう夏休みが明ける子どもたちが多いみたいですね。
徳永が子どもの頃は、夏休みは海の日くらいから8/31までがっつり休みでした。
(登校日は行ったような、行かなかったような。)
魔法の言葉?呪いの言葉?
さて、この時期になると決まって出てくる言葉について。
「学校には行かなくてもいいんだよ」
「学校になんか行かなくてもいいんだよ」というものですが。
その言葉に甘えて、自分を甘やかして、あなたには何が残りますか?
*「学校なんか」という言い方について
なんかってなんだ。その言い草!と徳永は思います。
たぶん、学校に対して負のイメージを抱いている子に慮ってそういう表現になったんだと思いますが。学校で頑張って働いてる良い先生たち、頑張って学んでる良い子たち全員を馬鹿にしてる、軽んじてるみたいで、徳永はこの言い方は好きじゃないです。
徳永も始業式の日が来るのが嫌だった
徳永が小学生/中学生だった頃は、それこそ「学校が爆破されないかな」と思っていたクチです。授業についていけないし、いじめられていたから。
でも同時に、例え本当に爆破されたり崩れ落ちたりしたとしても、きっと近隣の学校に通わされるだろうなとも思ってました。冷めてますね。
それでも、不登校になろう、休み続けようとは思いませんでした。保健室登校も図書室登校もしませんでした。そういう発想自体がありませんでした。
というのも、この頃の徳永は保健室の先生が横柄だったので大嫌いでしたし、図書室は得体のしれない場所だったからです。そして極めつけは、自分が「普通」から外れるのが何かに負けた気がして嫌だったのだと思います。
なんで行った方がいいの?
始業式に行かなかったら「あいつ始業式まで休んでずるい」という目で見られますし、学校を休むことに対して心のハードルが下がり、次の日もその次の日も休みたくなります。
そしてずるずると休んで、いざ通おうと思っても今度は同級生の「あっ!来たぞ!」という目が怖い。それが積み重なって、とうとう学校に行けなくなってしまう。
そうなるのが目に見えているからです。
それに、「学校に行かない」「登校しない自分は普通じゃない」という負い目を感じてしまうでしょう。気分はズンドコ落ち込みます。そして始まる現実逃避、からの昼夜逆転生活。めでたく引きこもりの誕生です。
それよりは、保健室登校でもフリースクールでもどこでもいいのでちゃんと通って、「すごく頑張って学校に通ってる自分」を褒める方がずっと生産性がありますし、自分を認めることができるので気持ちも上向きますよ。
死を考えるなら別だよ
死を考えてしまうほど辛いのなら今の学校に通い続けることはリスク、苦行、ストレスの塊でしかありません。思い切ってフリースクールに通うことを考えましょう。
地域の中の別の学校に通ったところで、今の子どもたちは子どもたち独自のネットワークがありますし、「あいつさぁ」という噂は簡単に広がりますから、二次被害に遭いかねません。おばちゃんネットワークよりすごいかもしれませんよ。
ですが、感情のままに訴えても親御さんによっては許してくれない、まともに取り合ってくれないことがありますね。親御さんとしては、我が子がそんな状況にあるなんて認めたくないのでしょう。
理性的に訴えたり、近くの子ども食堂に通ったり、子どもがいない時間帯に学校に行って(担任以外の)先生に相談するなりすると良いですよ。
担任の先生と良好な関係を築くことができているなら、担任の先生に相談しても良いかと思いますが、良い顔をしないと思うのなら、他の先生に相談した方が良いです。教育委員会も視野に。
あなたは井の中の蛙です。あなたの周りのコミュニティは「学校」以外にもたくさんあります。視野を狭めず、よく周りを見て、自分の居場所を探してみてくださいね。人間はナマモノですから、外に居場所がないとか、ずっと自分を否定するとかしてるとすぐ腐ります。
それでは、今回はこの辺で。
ご意見・ご質問・記事リクエストは仮り暮らしHPまで!