マナーを教えない毒親その2

こんにちは!NPO法人仮り暮らしの徳永です。
今回のお題は「マナーを教えない親」です。
前回も書きましたね。仮り暮らしのブログ内検索から「マナー」で探していただくと類似の記事が見つかりますよ。

 

今回あらためて記事にしようと思ったのは、Yahoo!の記事でこんな記事を目にしたからです。徳永なりに意訳するとだいたいこういう内容でした。

・娘がお箸の使い方を学校の先生から注意された。
・曰く、「お箸の持ち方がおかしいので、お嫁にいけないよ」。
・箸の持ち方を気にする人となんか仲良くなる必要はないし、
そもそも今は女性だって結婚相手を選ぶ時代。
・ちゃんちゃらおかしいや、そんな人の言うことなんか聞かなくてよろしい。

それに対しネット上では賛否両論だったそうです。賛否。「賛」否。

びっくりしました、自分の常識が足りないことを棚に上げて人を攻撃する投稿に賛成する人がいるなんて!!!!Σ(゚Д゚)エエーッ

なぜ箸の持ち方が大事なのか

食事をする時は「いただきます」と言います。これは生命をいただきます、食材をいただきます、作ってくれたものをいただきます、などと色々な意味が込められています。つまり感謝をこめて言うのです

食事の作法は、周囲の人を不快にさせないと同時に、綺麗に食べることでこれらの感謝を表すものです。口で「いただきます」と言っておきながらクチャクチャと食べたり、スプーンでぐりぐりしながら食べたり、箸じゃ拾えないからと言って犬食いしたり、そういう振る舞いは「いただきます」という言葉も気持ちも台無しにしています

最も恥をかくのは食事をしている本人

はっきり言って、箸もまともに持てない人は好感度が下がります。少なくとも徳永は「えっ・・・」と思います。

別にお家でどう持つか食べるかはさすがに何も言いませんが、さすがに外で、誰かと一緒に食事をするなら身に着けたいマナーの1つです。

「うわー、この人の箸の持ち方、汚いなー。誰も教えてくれなかったのかな」とか、「絶対に親とかから注意されてたはずなのにまだこんな持ち方してるなんて、どんだけ頑固なのさ」とか思われるのは、まさにその場で食事をしている本人ですね。

その次に恥をかくのは一緒にいる人です。「こんな箸の持ち方をする人と一緒にいるんだぁ、この人。」と思われるでしょう。

そのまた次に恥をかくのは、親や周囲の人です。「常識やマナーを子どもに教えない人に囲まれて育ったんだな、この人は。親の顔が見てみたいや」と思われるでしょう。

箸の持ち方がアレな人を思って矯正してくれるならまだ救われている方ですが、何も言わない人たちは人間関係で一線を引きます。「次から誘わないようにしようか」と。

そう認識したうえでなお、「そんな細かいことを気にする人たちとは付き合わなくてよろしい」と言えるでしょうか。徳永なら恥ずかしくてとても言えません

マナーを教えないのはある意味「虐待」

子どもが嫌がるからという理由でマナーを教えないのは、筋が通りません。おおらかに育ってほしいからという謎理由で教えないのは、もっと筋が通りません。子どもに嫌われたくないからという理由で教えないのはもっともっともっと筋が通りません。後ろ指をさされる人間に育ってほしいのですか?

マナーは周囲の人を大事にしてますよ、不快な気持ちにさせないようにしてますよ、感謝してますよという気持ちを伝えるためのものです。「ほらほら、私はこんなにきれいに振る舞うことができますよ」と宣伝するために身に着けるものではありません。

振る舞いが残念ですと、いくら気持ちのうえでそう思っていても台無しなばかりか相手を挑発する行為と捉えられかねません。特に学校や社会では、常識やマナーを知らないことで恥をかき、悪くすればいじめに発展します。

これがその辺の飲食店であれば、親が我が身を挺してその子をかばう(?)ことができるでしょう。「よその家庭に口出しすんな」とか、「人のことに口をだすな」とか「細かいことをいちいちうるさい!」とか。それもどうかと思いますが。

でも、子どもが一人でいる場面では、親は守ってあげることができません。近くに親がいない場合は、その子が自分で対処しなければならないのです。頼れるのは基本的に自分だけです。

その子を守る鎧の一つを親が与えないのは親の怠慢というか自己満足というか、それらに他なりません。子どもがより良い人生を生きることができるよう教えるのもまた、親の役目です。

そして、我が子がどんな振る舞いをしても許せるのは家族だけです。よその人はその人の振る舞いを見て仲良くなろうかどうかを決めますよ

子どもに優しい子育てとは、猫可愛がりすることではないと思います。

 

それでは、今日はこの辺で。
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