徳永について_14_毒母への接し方

13回目は予告どおり、「私がどうやって毒親に侵されず、抵抗し、距離を置いたか」を書きます。

母について疑問を持った

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よく仲良くしてくれた友人の母と比較しました。比較したといっても、意識的にしたのではなく、友人宅で遊ぶ時に自然と気が付いたのです。そして、比較すればするほど「あれ、うちのって異常じゃないか?」と思うようになったのです。
・友人一家も同じキリスト教(カトリック)なのに、一家は普通にお寺や神社に行くしお守りも買う。初詣だって行っちゃう。一家の車に交通安全お守りがぶら下がっている。
・友人の服は友人が自分で選んでいるらしい。
・友人は家事を手伝っている。炊飯とか皿洗い、洗濯物を取り込んで畳んだり。
・友人の母は「大人になった時のための、家事の練習だから」と言って積極的に家事を手伝わせている。
・友人は自分の部屋を持っており、プライバシーが大事にされている。
・「最後」とか「4番」、「先生が赤ペンで書いた花丸」に過剰反応しない。
そうするうちに、私の母ってもしかして、過保護で思い込みと締め付けが強いんじゃないの?私もしかしてこのままだと何もできない人間になるんじゃないの?と思ったのです。それは友人宅で遊ぶたびに強くなりました。

母を反面教師にした

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友人の母と接する機会が増えるにつれ、中学生ごろには「母は普通じゃない」と結論付けました
それからは(私にとっては)簡単でした。母が私に残念なことをしたらそれを反面教師とし、抵抗するようにしたのです。この抵抗する回数が増えるごとに母を尊敬できなくなり、結果的に距離をとることにつながりました。
たとえば「土建屋さんは勉強しなかったからあれしか仕事がない」という残念な発言には「でも家を建てるって知識と技術がないとできないことだよね、だから「家」があってそこに住めるんだよね。それはありがたいことだよね」と言い返しました。
また、親に「お前は馬鹿だ」と言われた時は、「そうじゃない」「あんたのほうが馬鹿だ」と言い返しました。時々殴り合いになりましたが、それも徹底的にやり返しました。
たとえば「教会に行かないことは悪いことだ!カミサマはいる、なんでそれが分からないの。お前は馬鹿なの?」に対して「馬鹿じゃない。馬鹿って言った方が馬鹿なんだ。私はカミサマがいるなんてこれっぽっちも思ってない、親の宗教を押し付けないで!」と言い返しました。
ちなみに、ブログのどこかの回で書いた「人間は猿から進化したんだね。」に対して「それは違うの。カミサマが作ったの。猿から進化したんじゃない。それは嘘なの。」と言われたのもこの頃です。それを聞いて、今でいうと「ドン引き」しました。
また、ヒステリーについても「私はこうはならない、絶対に」と思って対峙していました。

距離を置いた

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少しずつ母との会話がなくなりました。私は子どもの頃からずっと、母と会話が続いたためしがありません。
たとえば、「クラスの男子が給食で出たオレンジを口にはめて猿の真似をしていたんだよ(笑)」と言うと「ハッ!食べ物で遊ぶなんて」としか言わないし、「先生が別の先生をデートに誘ってたんだよ(笑)」と言うと「ハッ!学校で何をやってるの」と言ったりと、とにかく冗談が通じないのです。
また、中学校からは在校時間が長くなったことも、母と距離を置くことの助けになりました。そして私の将来を勝手に決めつけたことは心底うざったくて、お互いの距離感が離れる一因になりました。
極めつけはヒステリーです。私はヒステリーに遭遇したら音楽をイヤホン(両耳)で大音量で聞いたり外出するなどして、声が耳に入らないようにしました。

まとめ

私が毒母に自分を侵されないために当時は無意識にやっていたことは3つです。
・母を反面教師にしたこと。
・自分の考えを持ち、母が私を否定するたびに「それは違う」と言い返したこと。
・母の言うことを真に受けず、「何言ってんだこの人」と思うようにしたこと。
そうした結果、私は母のような残念な大人にならずにすみました。
親の言うことを真に受けすぎると自分がダメになる、無意識にそう思っていたのかもしれません。周りからは親子仲がいいねとか言われましたが、私からしたらとっくに「仮面親子」になっていました。
さて、次回は父について書きます。
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