こんにちは!仮り暮らしの徳永です。
今日のお題は 「学校に教室以外の居場所を作る」です。
教室に居場所がないのなら、何度かブログやTwitterでも書きましたが、保健室や図書室・あるいはスクールカウンセラーの先生の部屋を頼りましょう。「どうしたの?」と聞かれたら、教室にいづらくて、と答えれば先生は察してくれます。
図書室
図書室にはたいがい、司書の先生のための部屋があります。生徒はめったに入りません。事情を話せば居させてくれるでしょう。徳永は高校生時代、授業時間以外のほとんどをその部屋で過ごしていました。
なんせ基本的に誰も来ないので、気兼ねなく自然体でいられました。あれは本当に助かりました。何気に先生同士で連携もしていて「とくながぁー、明日図書室空いてないぞー」と、何もなかったかのように接してくれた担任の先生の振る舞いも、とてもありがたかったです。
保健室
「何?用が無いなら教室に戻りなさい」とは言わないでしょう。徳永の場合は何度か通ううちに「ちょっと話そうか」と先生が別室に誘導してくれて、洗いざらい話をしたのに、うんうんと聞いてくれました。
話を聞いてくれるだけなの?と思った皆さん、侮るなかれ。自分だけで抱えているのと誰かに知ってもらうのは、気の持ちようが全然違いますよ。
スクールカウンセラー(SC)の先生の部屋
図書室にも保健室にも行きにくいならこの部屋を頼ってみてください。「こんにちは!」とあちらから声を掛けてくれるはずです。
徳永が通ってた中学校にこのスクールカウンセラーさんの部屋があって、お茶とお菓子をご馳走になりました。徳永はほぼそれが目当てで行ってましたが、みなさんもそのくらいの気持ちで行ってみてください。きっと温かく迎えてくれますよ。
適当な庭の隅っこ、体育館の裏
教室以外に居場所を作る
最初は居心地に不安を感じるでしょう、でも日が経つにつれて「そこに来るのが当たり前」になります。
紹介した3つはいずれも自分から「行ってみよう」と思わないと足が向かないところです。他の子もそれほどいないので、落ち着いて過ごせる場所になります。
もしあなたが不登校気味なら、この3つのどれかに通うことを実践してみてくださいね。
みんなが登校する時間に合わせなくてもよいのです。誰とも顔を合わせたくないのなら、授業中の時間帯に行ってみてください。
学校は行かなきゃ行けない場所ですが、「必ず教室に行かなければいけない場所」ではありません。もちろん、教室で過ごすことでコミュニケーションとか対人能力とかが育ちますので、いずれは教室に戻った方がよいでしょう。社会人になってからコミュ障を引きずってるとめっちゃ苦労します。
学校なんか行かなくてもいい?
私はそうは思いません。昨今はなんか分かんないけどこの無責任な言葉を目にするのが多いです。子どもの時に「学校なんか行かなくていい」という言葉に甘えていると遅かれ早かれ痛い目に遭います。断言できます。
私も子どもの頃は学校なんて行きたくなかった。夜中のうちに学校が何者かに爆破されるかミサイルが飛んできて学校が無くなればいいとか思ってました。でも、それでも、です。
通学は子どもの権利ですが、私は義務だとも思ってます。通学することで能力を養うんです。大人になる準備なんです。あなたが育成ゲームに夢中になった時、手持ちのモンスターを育てますよね。それはなぜですか?強くなってほしいから、その姿になってほしいからですよね。
その大事な時に、「学校なんか行かなくてもいい」という甘い言葉を真に受けてひきこもって、あなたに何が残りますか?何も残りません。
その時だけやりすごしてもまた次が必ず来ます。そのたびに逃げるのですか?「人と合わない」「集団にとけこめない」なんて、大人になったらいくらでも遭遇します。遭遇しないことはありません。
子どもだったら誰かが守ってくれます。でも大人になると「じゃあもう明日から来なくていいよ」になるのです。問題解決能力、コミュニケーションスキルが無いとみなされるのです。
自分のことを受け入れてくれる人しかいない閉ざされた環境で過ごすと、後々大人社会で必要なコミュニケーションスキルが養われません。みんな自分の味方なので反対意見を持つ他人とのやりとりができず、問題解決能力が養われません。
「学校なんて行かなくてもいい」は、無責任な言葉です
学校に行かないという選択は、たしかに楽になれます。一時的に、ですが。どうしても通えない時期もあるでしょう。でも休み続けるのは、あなたにとってプラスになることはありません。
ふざけるな、徳永は何も分かってない。通えるなら苦労してない、と思われる方もいるでしょう。でも、誰に何を言われようとも、考えを変えるつもりはありません。
あなたの一生を、あなたの望む衣食住娯楽の無償安定供給を保証してくれるわけじゃないのに、口先だけ「学校なんか行かなくていい」と言うのは無責任極まりない行為だと思ってます。あ、徳永の気持ちですよコレは。
言葉が厳しくなりますが、ただ共感を得たいだけ、あの人スゴイ、あの人分かってくれる、という称賛や承認を得たいがための無責任な言動だと思います。
勉強の遅れは?人間関係の構築方法は?コミュニケーションスキルの獲得は?誰もあなたにスキルを授けませんよ。誰も責任取れませんよ。こういうスキルは自分が頑張って獲得するものです。
救われるのも事実
ただ、その言葉に救われる人が多いのは事実です。それのおかげで生きている子もいるでしょう。前に進むか立ち止まるか、それとも後退するか。あなたは考えなければいけません。子どもでいられる期間は短いですよ。
在籍中の学校に通えないなら、フリースクールや通信制高校など、とにかく「学校」には通いましょう。
これだけはやらないで
先生に無断で授業に出ず、誰の目にも触れない場所で何時間も何日も時間をつぶすことはやらないでください。
先生も家族も友人もあなたを探します。原因がその人たちにあるのなら「ざまあみろ」と思うこともあるでしょう。でも、人によってはそれだけで「不良」のレッテルを貼る残念な人もいます。短慮な行動はしないでください。
それでは、今日はこのへんで。ご意見・ご質問は仮り暮らしHPまで!