いつになったら毒親から逃れられるの?

こんにちは!仮り暮らしの徳永です。

今回のお題は「いつになったら毒親から逃れられるの?」です。徳永の体験をもとにお話しします。

 

成人すれば、お金さえあればすぐにでも!

裏を返せば成人しなきゃ逃げられないうえに、成人してもお金が無いと逃げられないということですね。
部屋を探そうにもお金が無いと不動産屋さんは相手にしてくれません。

あ、言っときますが「親を一人にしたらかわいそう」「私がいないと親がだめになっちゃう」とか思ってたらいつまでも自立できません。毒親はあの手この手で引き留めようとします。後ろ髪を引かれると思いますが振り切りましょう。

一般的に、引っ越しには賃貸物件契約だけで家賃の3倍の資金が必要だと言われています。家電が無い場合は最低でも+6万円くらいあれば中古の状態の良いのが買えると思います。徳永の家電はオーブンレンジ以外全て中古で揃えました。といってもTVは必要なかったので、冷蔵庫と洗濯機だけでした。

お金が無くても逃げる準備はできますよ。

まず何よりも重要なのは何かしらの資格を取って仕事に就いてること。安定収入のアテが無いと自立しても早々に行き詰ってしまいます。次に資格です。成人して間もないうちは無資格でも就職できるところはありますが、いくらか経つとそれが難しくなります。いくら自分で「アレコレできます」と言ってもそれを証明するものがないなら無力と同じだ、そういう見方をする会社が多いからです。

まだ無資格の場合は、座り仕事ならパソコン検定とかMOS(Microsoft Office Specialist)とかは、とりあえず持ってて損はない資格です。中には「不要な資格」と言い切る人もいますが、需要があるから供給があるわけです。履歴書に書ける武器が無い方は取っておくといいでしょう。

とはいえ資格の勉強をしているうちに機を逃した、ということも考えられますから、ここは安定収入を得る仕事に就いて、それから資格を勉強した方が良いでしょう。

 

逃げ方

徳永は無資格でしたがコールセンターで派遣社員やってたので、初期費用として15万円をコツコツ貯めてサプライズ自立しました。成人してたのでお金さえあればOKな状態です。とりあえず職場に近い地域を絞って不動産屋さんを総当たりです。

どこの不動産屋さんからも「15万円?そんなんじゃ紹介できないよ」と言われましたが、拾う神様の出現で物件が出てきました。つまり、とある不動産屋さんとの相談で引っ越し先の最寄駅は都内大田区の六郷土手駅に決定、敷金礼金0円の物件を紹介してもらって即決したのです。この不動産屋さん、相談と物件紹介はgoodでしたがその後私の母親に居場所を教えちゃったのがマイナス点です。

家を出るにはちょっと足りなかったのですが、すぐにでも出たかったので「思い立ったが吉日」と思って出ました。その後給料日までの1,2週間は家電がなかなか買えなくて苦労しました。夏場に冷蔵庫も洗濯機も買えなかったので、冷蔵庫は給料日までの何週間かは引っ越しで余った発泡スチロールのボックスにスーパーの保冷剤を何十個も分けてもらった超簡易冷蔵庫で、洗濯は近所のコインランドリーでしのぎました。

保冷剤は、なんかの経緯で妹が調達してくれたんですよね。買い物のついでだったっけ。スーパーの人がすごく心配してくれたと言ってました。ミカン箱がテーブル代わりとまでは行きませんが、それに近いものはありましたね。保冷剤in発泡スチロールは立派に仕事してくれました。あの経験はすごく良かったと思ってます。

逃げた後はどうなる?

自由に感動しました。だって何をしても自由なんです。

朝起きる時間も、朝ごはんは何時に何を食べるかも食べた後どう過ごすかも、昼はどう過ごして夜は何時に帰るかも全てが自由。昼寝したっていい。日中どこに出かけるか、食材は何を買うかも自由だし食べるのだって自由。自分の中でかなり根に持っていた、子ども時代に自分のお小遣いで買ったのに添加物だらけで変な色してるからと無理やり力ずくで没収&捨てられた「ねるねるね~るね」も、いい顔をしなかったカップめんも食べたい放題ですし、大好きなポップコーンだってコンビニの100円のを1日1袋1週間とか食べてた(食べ過ぎ)。

特におやつにはお金をかけました。3000円くらい貯金して、給料日に前月の残り全部おやつに使った時は快感でした。そんな感じに自分なりの「自由になったらやりたいこと」をできる範囲で1個ずつ全部やって満足したら、今までのやりたい放題はなんだったんだってくらいに普通の生活になりました

ねるねるね~るねは「まぁこんなもんか」と納得したしカップめんも「美味しいけど毎日食べるものではないな」と思ったし、ネットカフェに5時間いた時も満足はしたけど「まぁもういいかな」と思えたし、終電まで遊んで帰ったのも「やるにしても金曜夜とか土曜だな」と思えた。

そして、自由には自己責任が伴うということも実感したし、自分が納得しないまま禁止されるとあとあとまで根に持つんだなということも実感しました。

同時期に父親の入退院があったのでお金には本当に苦労しましたが、それでも「出て良かった」と思える日々です。

 

親へのアフターケア

父親はそうでもなかったのですが、母親はサプライズ自立をそりゃあもう気にしていました。なので、母親へのアフターフォローとしてLINEは必ず既読を付けるし必要があれば返信するし、たまにお茶したりもしてます。完全に連絡を絶つのは、母親は母親なりに必死だったことは認めているので私には無理でした

以来、母親とは自分にストレスがかかりすぎない範囲で付き合うようにしています。

POINT

  • 自分からは必要に迫られないかぎり連絡しない
  • 緊急じゃないLINEには既読付けるだけ
  • お茶したいと言われたら付き合うけど嫌なことされたら帰る
  • 電話で嫌なこと言われたら切断して無視

特に最後、嫌なこと言われたらというのは例えば「あんたのお父さんは浮気していたんだからお前が父と慕うのはおかしい」とか「お前のお父さんは退職金を自分のものにした」とかです。いくら言われようともそれは父母の確執であって、私には普通のお父さんでしたから。

それから、蒸発というのは褒められた手段ではありません。いわば言い逃げやり逃げですから、残されたほうは相当もやもやします。虐待されてたとかなら話は別ですがそうでなく意見の相違ということなら、むしろ正々堂々と家を出るべきです。住所は明かさずとも、そちらが態度をあらためないならもう出ていくよ、と。

それでは、今回はこの辺で。
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