今回のお題は「子どもの非を認めない・謝らない親」です。どこにでもいますよね、モンスターペアレントです。毒親です。自分は「我が子第一!我が子かわいい!」なんでしょうが、虐待行為です。子どもは将来嫌われ者になるでしょう。
特徴
・質問内容に答えるのは親
・子どもが何かをしても「子どもがやったことでしょ?」
・うちの子が一番、うちの子は可愛い、他は大根かカボチャっていうかもはや道端の小石。
・うちの子がそんなことするわけない
・相手が100%悪い
・逆切れする「わざわざ言わないでいいじゃないの!」
代表例:質問内容に答えるのは親
例えば小学生の子どもが親と一緒に医者に行ったとします。先生は症状を聞きますよね、子どもに。なのに親がしゃしゃり出てきて親が答えるケースがあるんです。「どうしたの?」「咳が出ます」「お熱はあるかな?」「○℃です」「ご飯は何を食べてきたの?」「アレとこれとそれです。食欲はありました。」・・・。子どもは始終黙って放心。肝心なのは子どもの意見なのに。
まぁ、子どもがちゃんと言えないなら仕方ありませんが、言おうとしてるのに遮るのは違いますよね。
同じことは学校でも起こります。
「ナニガシ君のこと、馬鹿って言ったんだって?」「うちの子はそんなことしない!そうでしょ?ねぇ?」
「ナニガシちゃんのお人形、引っ張って壊しちゃったんだよね」「貸さなかったあの子が悪い!素直に貸してくれてればこんなことにならなかった!」
子どもに聞いてるのに親が答える。子どもはそれを見ているだけ。当事者なのにまるで他人事。これは子どもから「自分の意見を言う力」を奪い、子どもに「自分のしたことが正しい」「自分が黒と言えば白いものも黒くなる」という誤った価値観を与える行為です。
子どもの人生で起こる物事の主人公は子どもです
親は子供を教え導くアドバイザーです。子どもの人生で起こる出来事の主役は子ども自身です。
<参考:「怒る」と「叱る」の違い>
*徳永の偏見です。
怒る:感情に任せて子どもの非をあげつらうこと。
叱る:どうしていけないことなのか、どうしたらよかったのか、今後はどうしたらよいかを教え諭すこと。
子どもの非を認めましょう
子どもがいじめの主犯だった、子どもが悪さをしてお店に迷惑をかけた。それは、親も一緒になって謝るべきです。親が頭を下げると子どもはそれを見て学びます。親がふんぞり返っていると子どもは虎の威を借る狐になります。「やっぱり自分の行動は正しかったんだ」と、都合よく解釈してしまいます。
でも、それは小学生までです。中学高校になると、いくら親が頭を下げようとも「あほくさ」と思うだけの子が多いです。
子どもの非を認めることは自分の育て方や考え方、自分自身を否定されたと感じてしまうでしょう。すごく勇気がいることです。恥ずかしい、もう相手にしてもらえない、怖い。負の感情しか湧かないでしょう。
もしも自分の親がそんな人間だったら
あなたは自分で気づいているはずです。親に依存するのではなく自立しましょう。自分で自分の非を認め、自分の言葉で行動で、謝罪しましょう。親を反面教師にすれば自然とやるべきことやマナーが分かってきます。
「ごめんね」「すみませんでした」「ありがとう」これらの言葉を言うのはとても怖いことです。言える人は少ないでしょう。だからこそ、言える人は立派な人間になります。
自分で自分を育てるために、「ご」めんね、「す」みませんでした、「あ」りがとうと、頭文字だけ言ってみてください。するするするっと言葉が出てきます。