徳永について_13_母のこと2

さて12回目です。母の言動がちょっとエスカレートします。ソレに合わせて本文も長めです。

子どもは親に従う義務がある

「あんたは子どもでしょ!だからママの言うことは何でも聞く義務があるの!」
そんな義務はない、と今でも言い続けていますが馬耳東風です。

「今日はこの服を着ていきなさい」
私は小学校を卒業するその日まで言いなりでした。友達からの突き刺さった一言は「その服ダサイよ?」です。だってでも仕方ない、自分では買えないし、選べない。

「その服はだめ、気持ち悪い!なんでそんなもの選ぶの。だめ買わない。こっちにしなさい」
→洋服を買いにでかけても、私にはディスプレイからどの洋服を選ぶかの選択権はありませんでした。あくまでも母が選んだものから妥協できる範囲で色違いを選んだり、ソレに近いデザインのを選んだり。

「髪の毛はここまで切って、うなじのところはバリカンで。もみあげも。」
→いつも美容院終わりはショリショリしてましたが、むしろそういうものだと思っていて何の疑問もありませんでした。そして母は「手入れが楽だから」という理由で私の髪型を男の子と間違えるほどベリーショートにしてました。当時の写真は見たくもありません。

小学校の6年生頃にそれに反抗心が芽生えて、初めて髪を伸ばしました。それ以来ずっと10年以上、26歳半ば〜27歳頃までセミロングでした。なんだか切るのが惜しかったから。今ではそれも吹っ切って、気持ち新たにボブとセミロングの中間くらいです。

電話の第一声は「今どこににいるの」
→「今どこにいるの、何をしてるの、何時に帰ったの、仕事はどこで何をしてるの、会社の名前は?うまくいってるの、同僚はどんな人なの、男なの女なの、歳は?何してる人?」と続きます。

あーもううるさいわ!とガチャ切りしたくなるのをいつもこらえて会話してあげています。住所も会社も明かしていません。

ちなみに、1回だけ「なんでいちいち何をしてるか聞いてくるの、普通に「久しぶり」って言えないの?詮索されているみたいで嫌だからやめて」と答えたことがありますが、「なんで秘密にするの!今家じゃないの?誰と一緒なの?どこにいるの、何してるの?」とさらなる詮索が続くことがわかったので「パソコンしてる」とだけ返しています。
多分、普通の親子なら「今何してるの?」と聞かれてもイライラせずに受け答えするんだと思いますが。

家族にプライバシーなんかない!

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・小学生の頃から、私が通学中に私の机の引き出しを漁る。それも週に何度も。
→物の配置が換わっているのでバレバレ。「勝手に開けていじるのやめて」と言っても「家族に秘密があるの!?無いでしょ!」の一点張り。私が折れて、見られたくないものや大事なものは常に持ち歩くようになりました。

・私に届いた郵便物を勝手に開封する。送り主問わず全部。
→「開けないで」と言っても「なんで。何が恥ずかしいの?家族なんだから見てもいいの。家族に隠し事はダメ。」と返されます。実話です。「プライバシーがある」と言っても「家族にそんなもんない!!秘密を作るな!!」と言い放ちました。

じゃあ私がお母さんに来た手紙とか鞄の中身とかタンスの中身、全部開けて覗いていじってもいいの、嫌じゃないの、と聴くと「嫌じゃないよ?やれば?」と言ってくるのです。
あっそうですかと(わざと日を空けて)眼の前で実行するとソッコーで「何してるの?やめなさい」と止めに入って来ましたが。
かといって母親様の行為が止まることは(私が家を出るまで)ありませんでした。気持ち悪い。

子どもの意見を聞かない、嫌だと言われてもやりつづける

・「それ違うよ」- 「うるさい。黙れ。」
・「これこれこうなんだって」 -「ふーん。それは間違ってる。ママが正しいの!」
・「それやめて」 -「うるさい。黙れ。聞け」

もはや嫌がらせですね。基本的に「人にされて嫌なことはやるな」が通用しない人です。
また、「親>>>>子ども」であり、「子どもが言うことは基本的にすべて間違っている」という考えの人です。

ママの敵はアナタの敵

「あんたのパパは浮気してた!ママは悪くない!(パパの)退職金も(パパが)全部持って行った!あんたはパパを責めるべき!」

→自分でやれ、とはねのけています。たとえ父が浮気していたとしても、私は母親様に同調することができません。だって私は母のことが好きじゃないし、浮気したくなる父の気持ちも分かるから。

ヒステリーを起こす


怒り方がとにかくヒステリーです。わめくわ叫ぶわ暴れるわ物を投げるわ物で叩くわ、とにかく相手を徹底的に叩きのめさないと気が済まない
母のやり方が嫌で口喧嘩になると必ず先に手を出されます。大声でわめきながら。大声っていうのは、両隣向こう3軒に聞こえるほどの音量ですよ。
大声を出すな、近所迷惑だと言っても馬耳東風、まったく聞く耳を持ちません。つまるところ、彼女は自分の主張させ通れば何でもいいのです。
身体を強く押したり強くつねったり強く叩いたり髪を鷲掴みにして引っ張ったりするのは基本で、物差しやティッシュボックス、本、ノート、リモコンなどその時手元にあるもので叩くなど、今思えば虐待を疑うような扱われ方をされてました。台所までわざわざお玉やらしゃもじやら探しに行ってましたからね。
中学生くらいで力が付いてくると毎回やり返したので頻度は減りました。殴られたら全力で殴り返す、蹴られたら全力で蹴り返す。親が傷つく?知ったこっちゃないです、こっちだって痛いんだから。
それでも、彼女の暴力性は変わりませんでした。おそらく今でも変わっていないと思われます。
1回大喧嘩になったんです、たしか、まだ引っ越す前くらいに。
「なんであんたはママに向かって反抗的なの!」
「そりゃあ思春期ですからね!」「違うと思ったことは言う!」
「思春期なんて無い!すべて従うべき!ママに従わないあんたが悪い!ママに向かってなんなのその態度!誰のおかげで育ったと思ってるの!ママに感謝しなきゃ!」
「育てるのは親の義務でしょ感謝なんか求めんな!」
その後はご想像のとおり「産まなきゃよかった!」「私は産んでくれとは頼んでない、勝手に産んだのはそっちでしょ!」です。
誰かが仲裁に入ってきましたが、誰だったか。喧嘩は収まった(私が黙った)ものの、私が寝付くその瞬間までずーっと私を言葉で責めて来たので、父親に泣きついた覚えが。「いつまで言うんだ意地が悪い、興奮して寝付けないだろう!」と言ってくれたのを覚えています。
私が成人してから母親様に言いました。「私がグレなかったことに感謝してほしいくらいだよ、中学生くらいの思春期を無理やり圧迫された人間ってグレやすいらしいからね」と。
そしたら、「そんなことは関係ない。学校で何を習ったの?親に逆らえとでも?反抗期は存在しない。子どもは親に従うもの。反抗的なのが完全に悪い。」が答えでした。
呆れてしまって、開いた口が塞がらなかったです。当時は「これが話が通じない人間か」と思ったものです。

徳永はどんな人間に育ったか

自分の意見を持たない、意見を求められるとフリーズする、自発的に発言したり動いたりができない人間になりました

例えば小学校で「次のお楽しみ会は何をやるか」について議論した時は多数決に日和り、「一人1回発言しないとだめ」なんて言われた日には何も話せず、「あとお前だろ早く話せよ」と言われて心底困った記憶はありますが、その後どうなったかは覚えていません。たぶん先生が見るに見かねて「すでに出てるこの案でいい?」なんて助け舟を出してくれたんじゃないかな。
そんなことだから人間関係もうまくできませんでした。何を言ったら、どう動いたら正解なのかが分からないのです。この性格は自立するまでついぞ変わることはありませんでした。

まとめ(?)

母親様は今でも「一緒に住もう。お金も浮くでしょ。」と言ってきます。冗談じゃない、ふざけるなというやつですね。私は1日たりとも持たないでしょう。電話で声を聴くのですら「もしもし」でイラっとするのです。

二度と一緒に住まないし、自分の世話ができなくなったら手近な老人ホームに放り込みます(ホームの方には申し訳ないですが面倒見られません)。

面白いのは「あんたママがいなくなったらアンタが困るのよ!?」と脅してくること。私としては「え、何に?むしろハッピーです、あぁ金銭的に困るかもね葬式費用とか連絡先とかね(勝手に散骨予定)。さっさと没後をエンディングノートにまとめてくださいね」という心境です。

ヒステリーを起こすと面倒くさいので言いませんが。聞く人によっては顰蹙ものですが、私としてはそういう気持ちです。

厄介なのは「ママは老人ホームには絶対に行かない、あんな汚い老人ばかりのところ気持ち悪い」と言っていること。
汚いというのはおそらく、私の祖父母の排泄失敗後の後片付けをやっていたから思うことだと思います。自分だってもう「老人」なのにこの言いよう。どうやって放り込もうか、ボケたら施設のことを家だと思ってくれるだろうかと思案中です。
さて、次回の内容は「私がどうやって毒親に侵されず、抵抗し、距離を置いたか」にします。
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