徳永について_9_引っ越しと両親の別居

9徳永シリーズ8回目はこの3本立てでお送りします。
・成田市のアパートに引っ越し、無謀な家賃
・追い詰められた父、追い詰めた母、母も追い詰められていた?
・別居開始「ママに付いてこないと縁を切る!」

成田市のアパートに引っ越し、無謀な家賃

父は失業、母は専業主婦ということで、どこの不動産屋も苦い顔をしたのでしょう。母は知人を頼ります。そして口をきいてもらったのが、よりにもよって「家賃8万円」の物件でした。
家賃は収入の3割までと言われてます。8万円というと世帯収入が単純計算で少なくとも24万円は必要で、しかも借金とかローン返済とかが全く0円じゃないと、余裕をもった生活ができない金額です。
父の非正規収入や私のアルバイト代では到底無理生活できません。案の定、2か月もしないうちに生活が追い詰められていきました。
ちなみにこの頃から私がアルバイトを始めますが、母は断固反対、「勉強だけしてればいいの!」と言ってました。父の収入では生活できないことを分かっているはずなのに。もちろん母は専業主婦を続行しました。
それなのに、私がアルバイトで得た給料は私の定期券代と高校での昼食代しか残りませんでした
母は私の給料日を私よりも正確に知っていて、当日に「貸して」と言っては家計に充てていたからです。私の口座残高は給料日の翌日になると数百円になります。まぁ、母は母で必死だったのでしょう。生活に。

追い詰められた父、追い詰めた母。母も追い詰められていた?

成田市に引っ越した当初は祖父も存命でしたから、父がいない間、母が祖父の食事と排泄の面倒を見ていました。この頃の口癖は「ママは家政婦じゃない」。
父を責めてばかりで経済的に協力しようとしない母(私は働くために嫁いだんじゃない!!!)に、それまでの諸々も含めて、父はうんざりしていたのでしょう。
祖父が亡くなった直後、父が別居します。決め手は夫婦喧嘩で母に「出ていけ!」と言われたこと(らしい)です。そりゃ出ていくわ。
父は線引きができていました。何をおいてもまずは自分を優先すると。そして別居後、自分の食生活をおろそかにして私達に仕送り(養育費?)を続けた父が、ついに過呼吸で倒れます。
もともと難病指定の特発性拡張型心筋症と、不整脈を患っていた父はそれを機にアルバイトを退職、年金生活を始めました。

別居開始「ママに付いてこないと縁を切る!」

これは余談になりますが、別居時に母は「ママに付いてこないなら完全に縁を切るよ!?それでもいいの!?」と何度も何度も聞いてきました。私が父の物件の下見に付いていったことを知っているからです。
立派な心理的虐待ですよ!
まともな(?)親なら「あなたがどっちに付いていってもいい」とか、「どちらを選んでも親子であることに変わりはない」とか言うものだと思うのですが。これでは脅しです。
私は当時、「親 別居 子ども どっちに」みたいなワードで検索して、ああ普通の親はこう言うんだ、私のはやはり異常なんだと思った記憶があります。
ちなみに、私は社会人になって独立しましたが、父は今でもその物件に住んでいます。2019年3月に亡くなりました。
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