徳永について_3_幼稚園で不登園に

徳永シリーズ3回目は幼稚園時代のお話です。
人見知りで早生まれの私が不登園になるまでそんなに時間はかかりませんでした。
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私が不登園になった理由

この4つです。どの年齢の不登校にも通じるものがあると思います。
他の子とどんな会話をしたらいいか分からない、関わりたくない
多人数より少人数派、ていうか一人派
先生の言う意味が分からない、怒られる
みんなできるのに自分だけできない
それまで公園や家で遊んでいて同年代の子どもと遊んだことがなかった私は、5歳で幼稚園の年長組に入園します。たいがいの子が馴染めずにぼっちになるパターンですね。
他の子に話しかけられても相手の目を見ることができないうえにうまく返せません。一人で過ごすのが好きな私がひよこ組や3歳児クラスからの成り上がりに溶け込めるわけもなく、あっという間に「浮いた子」になりました。
また、3歳児クラスからの成り上がりや「普通の」お家で育った子どもは、片付けたり着替えたり、着替えたら畳んだりができますが、私の母親はそういうことを一切躾けなかった(ママがやってあげる!)ので、そもそも「片付ける」「畳む」の意味が分かりませんでした。先生から「片付けられない」「着替えを畳めない」ことを叱られたのを覚えています。
おまけに私は早生まれなのでみんなより1歳下です。幼児期は月齢で大きく差が出ますから、自然と「みんなできるのに自分だけできない」という劣等感を感じるようになります。ハサミとか、ノリとか、色塗りとか、かけっこも、食事の作法も(みんな箸なのに私だけフォークとか)。
遊ぶ時は一人、同年代の子と何を話したらいいか分からない、もはや関わりたくない、ていうか浮いてる、給食はどこの班に属しているか分からずウロウロ、誰も呼んでくれない、先生に仕方なしに誘導される(頻繁)、お道具箱の中はぐちゃぐちゃで先生に怒られる、先生の言う意味が分からなくてオロオロ、着替えれば畳んでないからぐちゃぐちゃでどうやって着替えればいいのか分からない。製作はみんなより下手。
私は早々に「幼稚園行きたくない」と休みがちになります。それでも母親は「何が何でも学校(幼稚園)に行かせる派」でしたから、やれお腹が痛いの気持ち悪いのと言っても1日しか休めず(しかも休むことを怒られる)、「また明日が来るの嫌だなぁ、でも来ちゃうんだよな」と5歳で悟っていました。園バスがありませんでしたから、嫌々ながらのカスタネット登園です。行く、行く、休む、行く、休む…。

余談

私は幼稚園〜中学校時代の製作物が1個しか残っていません。母親がことごとく捨てたからです。「コレいらないでしょ?捨てるよ。」と。自分が短大で幼稚園実習に出てはじめて「製作物って保管するものなんだ!」と衝撃を受けました。
唯一、祖父母にあげた織姫と彦星の陶器人形(ウチの幼稚園は陶芸をカリキュラムに組んでた)は祖父母が大事に10年近く飾ってくれてましたが、引っ越しのときに母親に捨てられました(母親は祖父母の私物をほぼ全て捨てました)。

余談2

私の卒園アルバムには、口をポカンと開けたアホ面の私が最前列の椅子にだらしなく膝を広げて座っている様が残っています。なんで座らされたのか分からないし、そもそも写真撮影、目の前にカメラがあることを認識していませんでした。
親の躾のせいで恥をかくのは子どもだという良い例です。
いま幼稚園のホームページを見たら、今でも同じ見た目の制服、通園帽、体操服、体操帽でした。懐かしい!

でも…第2グラウンドって、あったっけ…..?園舎、変わるって…?

次回は中学卒業まで続いたいじめが始まる小学校時代についてです。終わりの始まりってやつですね。小学校は何回かに分けようかな。
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